「何事も経験だ」と言って面倒事を押しつける人たち

よく言われる価値観である。

「何事も経験」「何事も勉強」
「やってもみないでごちゃごちゃ言うんじゃない」

確かに正しい側面もあるだろう

やってみて初めてわかることもあるだろうし
本当に面白いか楽しいかどうかはやってみなければわからなかったりするのだ

しかし、これが会社で言われるようになると話が違ってくることがある

急用が入ったからといきなり社長から
何月何日のどこそこである行事に上司と一緒に行ってくれと言われたり

会社の知名度をあげたい社長が女子社員に地元のミスコンへ応募を薦めたり

これらはすべて業務上の指示ではなく
あくまで単なる「お願い」または「提案」という形式を取る

しかし実際は会社での立場を背景にした命令も同然で
拒否すれば待っているのは鬱陶しい説教と給料の減少である

最悪のケースとして、それが切っ掛けで陰険ないじめのような扱いが始まって
退職を暗に強要されることにもなりかねない

そんな面倒事を持ってくる人たちが決まって口にするのが
冒頭のセリフである

「何事も経験」
「何事も社会勉強」
「君のためにもなることだ」

鬱陶しいにも程があるのである

「何事も経験」とか言って
ただ面倒なだけの行事や思いつきに付き合わされるのは
この上なく貴重な自分の時間を奪われること だと思うのである

休日をただ単に寝るだけだったり
ぶらぶら飲み歩くだけだったり
無為に過ごすだけならそういう行事に参加する方が
まだ有意義かもしれない

しかし、本人が何かはっきりと目指しているものがあって
そのための何かをするのに時間を使いたいと思っているなら
それを優先していいはずだ

「何事も経験」などと言うのは
本人の目指すものや見据えている先からすればつまらないものである

確かに、どんなことでも経験してみれば新しい気づきがあったりもするだろう

しかし、何かやりたいことや目標を見つけてそれに向かって頑張っている者もいるのに
そういう人を捕まえて何が関係あるのか分からない、直接的にはただ会社の都合だけの
面倒なイベントに行かされて経験もへったくれもあるわけがないのである

そこでの経験がその目標の役に立つかもしれないじゃないか、などというのは
単にゼロではない確率をことさらに強調するだけの詭弁だ

役に立つかもしれないとは役に立たないこともあると言うことで
実際には立たない時の方が多いものだ

そんな小さな可能性を求めるよりも
自分で気がついた、もっと直接に関係のある勉強なり何なりをやっている方が
よほど役に立つだろう

逆に言えば、そういう自分のやりたいことや目標が見つかっていなければ
そんな面倒なことを言われても反論する理由を1つ失うということだ

休みを寝て過ごすよりも
マンガやゲームに興じているだけよりも
どこかに行った方が自分のためになるが

それよりも自分で見つけた目標のために自分で努力している方がよほどためになるのである

早くそういうものを見つけた方がいい

というのが、今回の話なのだが

それを会社に言えるかどうかはまた別の話になってしまうのが悲しいところである

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