「若者」はどうやったら何かに取り組もうとするのか?その考え方の1つのヒント

ニートを信じ、女子高生をリスペクトするということ “マネジメント”からの逃走 第1回:PRESIDENT Online – プレジデント

少し前から話題の「ニート株式会社」とか、役所内に新設された「jk課」をめぐる話だが、これがなかなか興味深い視点がある。

それが以下の部分。

「ニート」と呼ばれる若者たちに対して、「君たちを助けてあげよう」「社会に戻してあげよう」「就労支援してあげよう」などという態度になりがちです。これが一番の大きなズレだと思います。なぜ社会や大人たちが「正しく」て、ニートと呼ばれる彼らは「間違っている」「劣っている」というのが前提なのでしょうか。

ニートは世間的に間違っているという前提の価値観。たしかによく考えて見れば、この前提は会社で働くことを代表的な人生観とする「常識」的な価値観に基づいているものです。
ニート本人たちもその価値観が存在していることを理解していて、自虐的な意味も込めて「自分は社会不適合者だ」といった言い方をすることもあるでしょうが、しかし、真面目に考えてみた時、その価値観は初めから「普通の人」とニートを二分して理解するものであることがわかります。その区別には実はそこまでの理由は存在していないのに、です。

「jk課」も同じ考え方に基づいているそうです。「jk」という言い方は、いい意味で使われることはあまりなく、極端に言えば「最近の若者」とほとんど同義的に使われることさえあります。
しかしそれは「大人」側の話で。

当の女子高生たちはが「jk」という表現に対して特にネガティブなイメージを抱いていないとしたら、そこに認識のズレが有ることになります。

だからあえて「jk課」という名称が採用された。
普通の人たちがいかにマイナスのイメージを抱くとしても、主役になってほしい彼女たちの理解を尊重して「jk」との表現が使われることになった。

実にいいですね。

こうした考え方による取り組みが促進するのが、「自分には関係ない」という無関係意識の排除でしょう。

それは、「社会の一員である以上、必ずお前にも関係のあることなんだよ」なんていうつまらない正論ではなく、「お前がやってくれるといい方向に進むはずなんだよ」という積極的な評価。

こうした形で自分たちを認めてくれる人が現れたとしたら、jkだってニートだって、そりゃあ「じゃあやってやるよ」って気持ちになっておかしくありません。

これはなかなか先が楽しみな取り組みですね。

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