会社のためになることが自分のためになるとは限らない

毒吐き

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何事も経験だって言って、何かと面倒事を持ってきたり押し付けてきたりする人がいますね。鬱陶しいことこの上ないのに、それが会社内での立場を背景にした形でもたらされると余計にウザさが増します。

何がウザいって、そういう「提案」は大体「その方が君のためにもなるよ」という体を取ることなんですよね。

本当の理由は間違いなく、その話を持ってきた本人に都合がいいかまたは会社のためになる、というものなのが、それを隠してまるで完全なる善意に基づく提案であるかのように振る舞われる。

で、この形式がいやらしいのは「完全には間違ってない」ってことなんですよね。

そりゃあ経験することは血肉になるわけですから、ためにならないはずはありません。しかし、「どの程度のストライク率なのか」というのがそこには抜けています。

何でもかんでもどんなことでも経験することは勉強になることだとするなら、どんなことを経験するかは本人が選択していいはずです。どんなことを好むのか、どんなことを目指すのか、どんなものを欲するのか。そうしたことを決めるのは本人であるべきです。

しかし、主に会社とか上司とか面倒くさい連中は面倒臭いことを面倒くさい言い方で突きつけてくる。「こういう経験も勉強だよ」なんて完全には否定出来ない言い回しをされれば、こっちはどう反論することも出来ません。

「それを経験するよりも、自分のためにはもっと大事なことがあるのでそちらを経験したい」

なんてことが言えればいいんですが…

会社のためになることは自分のためになるとは限らない。だが、自分のためになることは会社のためになる。

これが真理だと思うんですけどねえ。

自分のためになること、すなわち自分が望んで経験したり勉強したりしていることは間違いなく会社のためになります。

どういう形であれ、社員の能力が向上することは会社にとって有益でないはずがないからです。

だったら、つまらない「提案」なんぞ押し付けずないでこっちの好きにやらせろよ、と思わずにはいられませんが…

ただし、それは「何が自分のためになるのか」を自分でわかっていなければ言えないことでもあります。

つまり、自分はどうなりたいのか、どうありたいのか、どうしたいのか、がわかっていなければ、または決まっていなければ、「君のためだよ」っつってもたらされる「提案」に面倒くさい以外の理由を言えないことになるわけです。

さすがにそれでは断る理由としては弱いですよね。

ですから、「何を経験することが自分のためになるか」がまだ見つかっていない人は、それを決めることが最優先となるでしょう。

ただし、見つかったからといって実際にそれを理由にしてウザい提案を断れるかどうかは別の話ですが…

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